カクテル

その店を葉月はづきは気に入っている。

正確に言えば、その店で働く一人のバーテンダーに、葉月は執心している。
隙なく制服を着こなした、鋭ささえ感じる美しい立ち姿には途方もない色気があり、にこりともせず淡々とカクテルを提供する彼に一目惚れしてしまったのだ。

なんとかして彼を自分のものにしたい。
だが、静かなバーで大っぴらに彼を口説くことは躊躇われた。そこで葉月はオーダーに自らの想いを乗せることにした。
スクリュードライバー、アプリコットフィズ、アイ・オープナー、ロブ・ロイ、キャロル、キール……
聞きかじった知識で葉月は彼に愛を囁き続けた。

そうして根気強く店に通い、三ヶ月が経った頃、「こちらはサービスでございます」と言う彼の言葉と共に、一つのカクテルが提供される。

ブルームーン……カクテル言葉は『無理な相談』。
薄い紫色をしたミステリアスなカクテルは、葉月の心を打ちのめすのに十分だった。
けれど、その出来事がむしろ葉月の心に火をつけ、葉月が店に通う頻度は増えた。

通うたびに一杯でも多くのカクテルを注文し、少しでも長く二人きりの時間を葉月は楽しむことにした。
しかし、何度葉月が愛を謳うカクテルで告白しても、バーテンダーはにこりともせずブルームーンを差し出した。それを飲み干して帰宅するのがいつしか葉月の習慣になっていた。

そうしてさらに三ヶ月の時が過ぎ、葉月は今日もバーテンダーへ愛を囁いていた。

これだけ思いの丈をぶつけても、びくりともしないなんて。
そういうところが好きだなあと思う反面、ここまで脈なしだと流石に諦めたほうが良いのではないかと、良い加減葉月も気付き始めていた。

今日ブルームーンが出てきたら諦めようかな。などと勝手に決めて彼を見つめる。
閉店間際の店には二人きりだ。葉月の頼んだカクテルはすでに葉月の手元にある。にもかかわらずバーテンダーは鮮やかな手つきでカクテルを作っている。

「どうぞ。こちらはサービスです」

果たして出てきたカクテルは、いつもと同じくミステリアスな薄い紫色をしていた。

ああ、やっぱりブルームーンだ。

落胆する気持ちを押し殺し、「ありがとうございます」と葉月は受け取る。しかしそのカクテルにはいつもと違うところがあった。

どうして今日に限って、わざわざ紙のコースターなんて付けるんだろう。

疑問に思いながらグラスを上げると、そこには十一桁の番号が書かれていた。

「……えっ!?」

思わず葉月は声をあげ、バーテンダーを見る。すると彼は慌てたように葉月から顔を逸らしてしまった。その横顔が赤く染まっている。

ブルームーンは相反する二つのカクテル言葉を内包する。
『無理な相談』。そして『完全なる愛』。
バーテンダーがどちらの意味でこのカクテルを葉月へ提供したかということは、何よりも雄弁に彼の態度が物語っていた。
想いが通じたことの歓喜、突然の告白への戸惑い、そして何よりいつもにこりともしない彼が照れていると言う衝撃に、葉月は笑み崩れてしまう。

「嬉しいです。ありがとうございます……今日、電話しても良いですか」

そう言うと、バーテンダーはますます顔を赤らめてしまった。
首まで真っ赤に染めながら微かに頷く可愛い彼を見ながら、葉月はブルームーンを味わった。花のような甘い香りと柑橘系の味が口内に満ちる。
それは昨日までと同じ酒のはずなのに、昨日までとは違う味がした。