猫を飼ったら人間は下僕に成り下がるなんて、大袈裟だと思っていたけど本当だったんだな。
自宅への道を急ぎながら、紫苑は今日何度目かわからない重いため息を吐き出した。
悩みの種は家で留守番をしている飼い猫の犀星についてだ。紫苑が猫を飼うのは初めてのことだったが、友達や同僚に猫好きが多かったので、なんとかなっている面も多い。
そんな彼らから、犀星の運動不足を心配され、キャットタワーの購入を勧められた。
いわく、キャットタワーがあれば紫苑が留守の間も勝手に遊んでくれるし、爪研ぎをするのにも良かったり、部屋の中に高いところや隠れるところがあると猫は安心するのだという。高い買い物ではあったが、紫苑は喜んでハウスのついたキャットタワーを買った。
だが、犀星はキャットタワーで遊ぶどころか、警戒して近づくことすらなかった。
お気に入りの毛布をタワーの天辺に置いてみたり、おもちゃで誘導してみたり、ポールで爪研ぎの練習をさせてみたり、部屋の中でタワーを置く位置を工夫してみたり。紫苑はとにかく思いつくことを手当たり次第やってみたのだが、まるで効果はなかった。
犀星がタワーを気に入って遊んでくれる様を想像していた紫苑は少なからずがっかりした。
でも、こうしてがっかりするのも、勝手に期待するのも、全部人間側の勝手なんだよな。
タロットカードの『塔』が意味するところは、驕り昂りに対する示唆だ。
キャットタワーは木製の骨組みに生地を貼ったものでアスファルト製ではないけれども、バベルの塔を建てて神を超えようとした人間の傲慢さは、犀星に気に入ってもらえるはずだと思い込んでキャットタワーを導入した自分にも当てはまるのではないかと紫苑は思った。猫は神様で人間はその下僕なのだから、紫苑が差し出がましいことをしたのが犀星はそもそも気に入らないのかもしれない。
そう思うとまた紫苑は特大のため息を吐かずにはいられなかった。
もし犀星がこのままキャットタワーに見向きもしなかったら、潔く処分してしまおう。そうこう考えているうちに、自宅の前までたどり着く。
「ただいま」
鍵を開けて中に入ると、いつもの場所に犀星がいなかった。
「……犀星?」
名前を呼びながら紫苑は家中を探し回ったが、どこにもいない。
次第に紫苑は不安に駆られ、犀星の名を呼ぶ声は震え始めた。
「犀星!?」
一際大きな声で名前を呼んだその時、すぐそばから「にゃあ」と鳴き声がした。「うるさい」と抗議するような鳴き声に紫苑は驚いて、声のした方へ顔を向けると、犀星がいた。
キャットタワーのハウスの中から顔だけを出していた。
「さ……犀星いいいい!」
犀星が見つかったことの安堵、キャットタワーで犀星がくつろいでいることの驚き、顔だけを出した犀星のかわいさ、その他いろんな感情が渦巻いて、紫苑は声をあげながらその場へ崩れ落ちた。
崩れ落ちながら犀星へ手を伸ばすと、犀星はその手を思いきり猫パンチした。
ああ、痛いけど、幸せだなあ。そう思う紫苑はもう完全に、犀星の下僕だった。
