秋灯

大聖堂で祈りを捧げていたシズリーは、背後でかすかに扉の開く音を聞きつけ祈りを中断した。ほんの数分前に閉門したばかりだが、急ぎの用でやってくる信者は時々いるものだ。
彼らに迅速に対応するのもこの教会の司教である自分のつとめ。
そう思って振り返ったところで、全く予想していなかった姿がそこにあったので、シズリーは思わずその名を呼んだ。

「アッシュ……」
「やあ」

普段から神を信奉していない——それどころか信仰を軽蔑している節さえあるこの男が、人気のない夜とは言え大聖堂にやってくるなど珍しい。
案の定、シズリーの祈りを邪魔したと言うのに全く悪びれる素振りもなく、アッシュはつかつかと隣までやってくる。

「どういった風の吹き回しですか」とシズリーが尋ねると
「うーん」と、この男にしては珍しく首を捻った。

「なんだろう。ここに明かりが灯っていたから来た、そんな感じ? いや、違うかな……わからない」

己自身に問いかけながら言葉を選んでいる。明確な答えが見つからずに困り果てている様子だ。そんなアッシュにシズリーはただ微笑んだ。
シズリーが自分の言葉を遮らないとわかって、アッシュはここに来た経緯を話し始める。

「さっきまで本を読んでいたんだ。夢中になって読んでいたら日が暮れたのにも気づかなかった。
本を読み終わって顔を上げたときに初めて夜になっていたことに気がついて、そしたら急に、寒気を感じたんだ。
そんな時、教会に灯る明かりを見て……ここに来なきゃいけない気がした」

彼にしては要領を得ない話しかただった。
シズリーは彼の思考を邪魔しないように、最低限の相槌しかしなかった。

「ここに来て、何かわかりましたか?」

言葉を切って考え込むアッシュにシズリーは声をかけた。
アッシュは「よくわからないんだ」と言った。

「道中、いろんなことを考えたはずなんだ。何かに急かされたような気さえした。
けど、あの扉を開けてシズリーを見つけた時、それが全部無くなった」

アッシュは「どうしてだろう」と考え込んだ。そんなアッシュにシズリーは静かに問う。

「寒気を感じた、と言いましたね? 今も寒いですか?」

アッシュははっきりと首を振った。そして「けど」と言った。

「もしシズリーが居なかったら、もっと寒く感じていたと思う」

それを聞いたシズリーは「そうですか」と深く深く頷いた。そしてアッシュにこう言った。

「この先、寒さを感じたらここにいらっしゃい。私が居なければ、ここで手を合わせなさい。
あなたの感じた寒さの正体は、時を経れば分かるでしょう」

信仰を持たないアッシュは案の定「えー」と不満を口にした。

「神様なんて居ないよ。祈ったところで何にもならないよ」
「それでも主はあなたを見守ってくださいます。
暗がりを照らす明かりのように、あなたの道標になってくださいます」

優しく、それでいて力強く、シズリーはアッシュに説いた。
するとアッシュは後退り、ついには逃げるように背を向けた。

「おや。お帰りですか?」
「そう。もう寒くなくなったし、これ以上熱心な司教様の隣にいたら洗礼まで受けさせられそうだし」

早口で言ってついにアッシュは扉を開けた。しかし、そこでくるりと振り返り「シズリー」と呼ぶ。

「要は、君がいつもここに居てくれればいいんだ。君が俺の灯火になってくれればいいんだ。
だからさ、きっと長生きしてよね。この寒さの正体を知るには、とても時間がかかると思うからさ」

そうして挨拶もなく、本当にアッシュは帰っていってしまうのだった。

「寒気、ですか」

一人きりになった大聖堂でシズリーは呟いた。
そうして中断していた祈りを再開した。
そこにはアッシュへの想いを乗せた。

「どうか、彼がさみしくその生涯を終えることなど無きように」

静かな大聖堂に祈りの言葉だけが響いていた。

******

「長生きしてよねって、言ったのに」

誰もいない墓地で、アッシュは墓石の文字をなぞった。そしてただ静かに手を合わせた。

「祈りかたぐらい、ちゃんと教わっておけばよかったな
……そしたら、こんなに寒くなかったかな」

呟きは風に掻き消され、どこにも届かなかった。