勇者信仰 - 1/2

ウルフは遠吠えを発する前に手早く仕留める。
熟練の腕をもってしても、群れの統率力と個々の俊敏さを兼ね備えたやつらを相手には、手を焼くからだ。
野生の獣ゆえに、炎の魔法は極めて効果的だが、空気の乾いた山中で、広範囲へ火を放てば、
……結果は、火を見るより明らかだ。

「名産、なんて言うてた?」
「……食用茸。あと、薬師相手には蝸牛も高く売れるって」

風下から正確にウルフの喉元を射抜いたルシアナが、構えた弓を下ろしながら、一見素っ気なく答える。
けれど「いい薬になるんだ……虫よけとか、なんにでも使える。わたしも買ったことがある」と、一拍おいてやや早口で付け加えるところが、まだほんの少女ながら生真面目だと言われる所以だ。

ダンは、些細な質問に丁寧に答えてくれたルシアナの頭を「ありがとなー」とやや乱暴に撫でまわす。やや不機嫌にぺしりと払いのけられてしまうも、想定内なのでまったく気にしない。

食用茸に蝸牛……ね。この乾いた土からは全く想像できへんけど。

現に「粗末なものですが」と申し訳なさそうに出された料理は、炒めすぎて萎びた根菜で、肉厚のキノコではなかった。

「調理の仕方を知らないだけだ。あれがキノコだったら、さぞ美味だったぞ」
「たらればや。そない言うても俺の腹の中はキノコにはならん」
「だからこそ、僕たちに依頼が舞い込んだ」

体格に見合った武骨で太い指を持ちながら、パーティ内で最も繊細な味覚と料理の才を持つベルナルの精一杯のフォローだったが、それでもダンは不満でいっぱいだった。
さらに言えば、もっともらしいこと言って話題をまとめた、パーティ随一の魔力を誇るフォルシュが、実は件の根菜料理を一口食べただけでフォークを置いたことを知っているので、ダンはますます口の端を下げる。

歩を進めるごとにぱきぱきと足元で響く小枝の音に、せめてあの根菜にもこのぐらいの歯ごたえが欲しかったものだと思う。いくら出された食事が、これまで生きてきた中で最も不味いバター炒めだったとしても、だ。
客人として招かれた手前、他の面々がどうであれ、パーティの代表としては顔を歪めるわけにもいかず。おずおずとこちらを伺う給仕の娘に、なるだけ自然に笑み返したが

……確信がある。同じことは二度とできまい。

健気な努力の甲斐あって、給仕の娘は面白いように頬を染めてくれた。もっとも、つど美男子だと言われ慣れているダンにとっては、それもさして珍しくもなく。
強いて言えば、こういった愛想笑いを向けるたび右隣に座るフォルシュから、彼女たちには決して見つからないように強く脇腹を抓られることにすっかり慣れてしまったことが、少し悲しいかもしれない。

外から来た男に明らかに不慣れな娘が、ぎくしゃくと目礼をして下がるまでを悠長に眺めていたとき、

「御覧の通り、たいへんに困り果てておりまして」

やっと村の代表を名乗る眼前の男が口火を切った。この男もまた、外界の人間に慣れていないのだろう……微妙に視線がかち合わない。
嗄れ声で紡がれた言葉には、都会のものとは違う響きがあった。

「かまへんですよ。俺も都会の人みたいな達者な喋りかたは出来やしませんし。楽ぅに喋ってください」

交易都市から、半日に一本の駅馬車を乗り継ぐこと二週間。そこからさらに田舎道を徒歩で五日。辺境もいいところだ。
この村へ訪れたのは、偶然にもこの近辺で別の依頼を終えて、拠点へ帰る道中だった。こちらを通るのが近道だと教わらなければ、恐らく一生存在を知らなかったような、小さな村だ。
先の依頼で訪れた街ではもっと崩れた言語が飛び交っていた。よって、もとより流暢な標準語が聞こえてくることは、全く期待していなかった。

肩の力を抜いて、飾ることなく生まれ育った地の言語を発したこちらに、少し親近感を覚えたのだろう。ようやく真っすぐと視線が交差する。こう言った時ダンは、己の出生が地方で良かったと思うのだ。

「安心させすぎた結果、ほぼほぼ理解不能な言葉がぽんぽん飛び出てきたのですから、そこはちゃんと反省してくださいね」

チクリと痛いことをケストナーが言う。この一見柔和で丁寧で繊細そうな男は、僧侶としては非常に優秀なのだが、言動に遠慮が無いことが珠にキズだ。ちなみにこの男は一切悪夢のバター炒めは口にしなかった。

そしてもう一人、

「まあまあ。滅多にない体験ができたと思えば。人生何事も経験ってね」

先頭を歩くルシアナのすぐ後ろから、魔法剣士のアニエスが振り返る。
鼻歌を歌いながら分厚い眼鏡を押し上げる彼女は、こちらはこちらであまりにも楽観的過ぎることが欠点か。
例のバター炒めについても「食物繊維と動物性脂だなんて、お通じが良くなりそうじゃないか!」と、ただ一人もりもりと食べていた。パーティ全員分の皿が空っぽになったのも、ひとえに彼女が居たからだろう。
何より、知的好奇心が旺盛な彼女の専門が郷土史と方言だったおかげで、ほとんど暗号のようだった村長の言葉もおおよそ理解ができたのだ。

「ほんま助かったわ。あないにややこしい言葉が出てくるとは思わんかった」
「勉強不足だよ、リーダー。このあたりは昔、帝国と真っ向から対立した歴史を持つんだ。かつて密偵を欺くために、もとあった方言に別の言葉を組み合わせることで、独自に発達した言語を体得した。全国的に見ても特異な地方だよ。
けど、ま。ボクも本物を聞くのは初めてだったんだけどね。だから、いい経験だ……よッ!?」

突然、相変わらず鼻歌交じりだったアニエスの声が不自然に途切れる。先頭を歩いていたルシアナと背中合わせに衝突したからだ。

「なに!? いきなり止まらないでくれる??」
「前見て歩いてへんからやろ。ルシアナ、どうした?」
不機嫌が混じるアニエスをたしなめ、ダンはルシアナを伺う。小さな背中はただ静かに「止まれ」と、パーティを制している。

「……蜘蛛の巣がある。とても沢山。それに、一つ一つが大きい」

前方から視線を逸らさないまま、ルシアナは静かな声で注意を促す。彼女の声は細いのに、緊張した空気の中ではとても強く聞こえる。

「村長の話にあった【赤い目をした大きな蜘蛛】か?」

しんがりを歩いていたベルナルが、戦斧の柄に手をかけながらダンの隣へやってくる。しかし、ルシアナは周囲に素早く目を滑らせ、はっきりと首を振った。

「話に出てきた蜘蛛にしては……巣が、小さい。けど……さっきから急に、ウルフの姿を見かけなくなった。それが、気になる」
「餌になったせいだな……見ろ」

警戒を解かぬままルシアナが口にした疑問に、すかさずフォルシュが答える。細い指がすっと差した遠くには、ぐるぐると蜘蛛の糸に包まれた、ウルフだったと思しき毛玉と、毛玉に群がる蜘蛛が二匹。

往々にして人間は、恐ろしい目に遭うと記憶を膨張させるものだが、それにしてもあれを【山ほど大きな】とは比喩しないであろう、小さな蜘蛛だった。
視線を逸らさぬまま、フォルシュが言葉を継ぐ。

「件の蜘蛛とは目の色も違う。敵意を感知すると目の色を変える蜘蛛も中には居るが……乾燥地帯に存在する種の特徴ではない」

つまるところあれは、村長の話に出てきた蜘蛛ではないようだ。知らず、誰かが安堵するように詰めた息を吐いた。

「ほしたら、なるべく刺激せんと先に行きたいとこやけど……どうなん、アレは」

幸いにして、聴覚は鈍いようだ。蜘蛛の食事風景からなるべく目を逸らしながら、声を潜めることなく、パーティの頭脳であるフォルシュと、目を担うルシアナの考えを伺う。素通りが可能ならばそうしたいところだ。

「あの種は、動きは鈍いものの、力があり、甲殻も固い……
何よりやっかいなのは、小さな羽虫が巣に触れただけで反応するほど、脚部の触覚に優れている。
つまり、このように、複雑に多数の巣が絡まった場所で、一匹でも刺激をすれば……」

フォルシュの見解に、ルシアナも頷く。

「うん……巣は一つ一つが別のものと連動しているみたい。どこか一か所でも刺激すると、視界の外からたくさん別の蜘蛛がくるかも……」

慎重派の二人らしい、現実的な意見だった。だが、

「動きが鈍いなら、うまく立ち回れば各個撃破もできるのだろう?
フォルシュの話を聞いている限り、一匹なら我々の手に余る敵でもなさそうに思うが」

若干難しい顔をしながら、ベルナルが提案する。もしその案が採用になった場合は、真っ先に蜘蛛の巣に突っ込んでいく覚悟も決めているようだったが、「あのねえ」とアニエスに窘められる。

「何匹居るかもわからない群れ相手にはちょっと無謀じゃないかい?」
「そうか……それもそうだな。すまん、忘れてくれ」
「これだから脳筋は……いっそのこと、この乾いた空気を逆手にとって、巣ごと全て焼き払ってしまいませんか」

しれっと、一番凶悪な作戦をケストナーが提唱するので、「どっちが脳筋だ」とフォルシュが頭を抱えた。ほとんど滅多なことで動じないと自負するダンでさえ、「それはほんまの最終手段やな」と、苦笑いで応じるしかできなかった。

「せやし、それでええんやったらそもそもさっきのウルフも全部焼き払ってるわ」

どうにか焼き討ち案を棄却し、他に何か道はないものかと思案しながら、顔を上げたときだった。

「……?」

ふとした違和感に、目を瞬かせる。

なんやろか。なんか、違和感っていうか……腑に落ちへん……。

「なァ、ほんまにあの巣、全部絡まりおうてるんか?」
「は?」
「え?」
「なんか、それにしてはあの二匹……えらい離れたところに巣作ってへんか?」

そう。確かに眼前に広がる無数の巣は複雑怪奇に絡まり合い、一見抜け道などないように見える。だがしかし、たった今食事を終えたばかりの二匹の蜘蛛は、全く別の方向へと進み、新しい巣を形成し始めたのだ。

その結果、無数の巣の塊は、妙なところに隙間が空いてしまっていることが、遠目からでもよくわかる。

「獲物をおびき寄せるために、わざと目立つ空間残してんのかとも思てんけど、それにしては妙って言うか、法則性みたいなもんを感じへんなあって思うねん」

二人の見解を疑うわけではないが、こう言った時の妙な第六感めいた感覚に、ダンは自信があった。各々が再度、二匹の蜘蛛と、その巣をくまなく観察する。新しい情報を発見できたのは、アニエスだった。

「あちらの蜘蛛は右回りに、向こうの蜘蛛は左回りに巣を作っているみたいだね」
「やっぱりか? なんか関係あるんか?」
「……僕としたことが」

発言を受けて、フォルシュが悔しそうに唇を噛んだ。どうにも、この乾いた空気のせいで得意の雷魔法を封じられて、調子が狂っていたのだろう。大きく首を振り、「一つ忘れていたよ」と言う。

「あの蜘蛛は二匹とも雌だ。受精前の卵を腹に持っている。左回りに巣をつくる蜘蛛が雄の卵を、右回りに巣をつくる蜘蛛が雌の卵を持っている。この蜘蛛たちは、互いの巣に干渉しあうことを良しとしない……。
そして、村長が見たという【赤い目をした大きな蜘蛛】が雄だ。この交差した巣の先に待ち構えている」
「その話、長くなりますか?」

長引きそうな話の気配に、ケストナーの口角が上がる。「面倒臭い」と言いたいときの癖だ。
フォルシュは静かに頷き、「……順を追って、手短に説明する」と、徐に右手を上げ、人差し指の先から迸る魔法の光を利用して中空に蜘蛛の絵を描き出した。小さな蜘蛛が二匹、巨大な蜘蛛が一匹だ。

「……忘れていたのは、生態系についてなんだ。あの蜘蛛は、繁殖期以外は雌雄が別の群れを作って生活する。

産卵期まで雄は、糸を吐くことができない。」

フォルシュの話に合わせて、まず、半透明の小さな蜘蛛の絵たちが動き出す。徘徊し、巣を作っていく。

「それは……雄は、巣をつくるのが、下手糞そうだな」

しみじみと呟くベルナルに、フォルシュは「そうだな」と相槌を打つ。

「致命的に下手糞だ。巣は餌を捕獲するほかに、雄が世話する子蜘蛛を外敵から護る役割を持つものだが……。
意図して交わることのない、右回りの巣をつくる雌と、左回りの巣をつくる雌が作った巣の隙間を縫うように雄が巣を張ることで頑強にするはずが、全く見当違いの場所に作ってしまっている。ダンの違和感はこれだろう」

雄蜘蛛の絵がようやく動き出す。しかし、狙った場所とは全く見当違いのところに糸を吐いてしまい、不格好に隙間の空いた形の悪い巣が出来上がってしまった。

「あの妙な隙間の向こうに、今回の目的がおるっちゅうわけやな」

ちょうど、目の前の巣の迷路を丸ごと再現するような形で、フォルシュの絵が出来上がる。

「……このあたりが薄いね。ここなら、全員雌の巣に引っかからずに、雄の場所まで行けそう」

ルシアナが早くも一番手薄な個所を見つけ出し、フォルシュも頷く。複雑に絡まった大量の巣の絵に一本、赤い光線が引かれる。ここを通れという道筋だ。

「雌蜘蛛を相手にする必要はない。やつの元へ辿り着いたら、まずはその口と尻から伸びているであろう糸を切断すればいい。

そうすれば、雌蜘蛛の作った巣には振動が伝わらない。雌蜘蛛がやってくることもない」

全員が頷いたのを見て、フォルシュが中空の絵を消す。
作戦は決まった。あとは、実行するのみだ。

「一列になって進んだ方が良いね。順番はどうする?」

じっと進む先を見つめてから、アニエスが問う。

「……早い目に糸切ったほうがええんやったな。
そしたら、俺とベルナルは先に行こか。んで、アニエス、ケストナー、ルシアナ、フォルシュの順番で付いてきてくれるか?」
「ええ、良いでしょう。念のため貴方がた二人には、筋力の働きを助ける神の奇跡を」

ケストナーが厳かに祝詞を唱える。しばらくすると、ダンとベルナルは淡い光に包まれた。
皮肉ばかり言う彼も、こんな時ばかりは優秀な僧侶なのだ。

「攻撃力と守備力が上がるいつものやつやな。ありがとな」
「助かる。これで早々に決着もつくだろう」
「礼には及びません。あなたがた二人にかかっていると言っても過言ではないのですから。後続の我々が雌蜘蛛に食されないように、精々働いてください」

前言撤回。やっぱり一言多い。

「ははは……ほんまにせやな。けど、俺ら二人だけで糸は切れても、大蜘蛛を倒すのは無理やからな。みんなで倒すんやで。
空気乾いとるから相変わらず炎と雷の魔法は厳禁。乾燥地に住む蜘蛛やし、氷魔法がよう効くんとちゃうかと俺は睨んどるけど、ま、その辺は臨機応変にな。
全員、生きて帰るんやで」

ぐるりとパーティの顔を見渡す。

大丈夫、いっぱい死線を今まで乗り越えてきた。俺たちはやれるはずや。

「そしたら作戦通り……行こか」

無数の蜘蛛の巣の間を慎重に歩き出す。大柄のベルナルが頭を屈めずに進めるのは、先ほど見つけたこの一か所しかなかった。
やがて、分厚い巣のトンネルが終わると、目の前には文字通り【山ほど大きな】蜘蛛が居た。
「行くで!!」
「おおおおお!!!!」

ダンは双剣を、ベルナルは戦斧を掲げながら大蜘蛛に向かって駆け出すと、それぞれ口元と尻から伸びる糸を切断する。さらにベルナルはついでだと言わんばかりに左脚を二本断ち切った。
異臭がする。親蜘蛛の危機を察してか、巨大な体の下からわらわらと子蜘蛛が飛び出してくる。

「危ない!!」

足元に群がる蜘蛛に氷の刃が突き刺さった。アニエスのものだ。冷気を恐れてか、大蜘蛛の動きが一段と鈍くなる。

「やっぱり氷の魔法がよう効くみたいやな!」

勘が当たった。ダンは一番後ろから巣の迷路を抜けてきたフォルシュに、大蜘蛛を丸ごと凍結すべく強力な氷魔法の準備を急かした。

「本当にお前の勘はよく当たる」
「へへ、そらおおきに!」

一瞬背中合わせになり、再びベルナルとダンが駆け出す。
大蜘蛛は子供を守るためか、ほとんど動くことができないようだったが、時折棘のついた足がこちらの頬や腕を掠め、時にはその力で身体ごと地面に吹き飛ばされもした。

「しっかりしてください!!」

けれども、その度にケストナーに怒鳴られながら回復の奇跡を浴びせられるので、大した傷には至っていない。
ルシアナがフォルシュを庇いながら、正確に矢を放ち、大蜘蛛の赤い目を潰していく。異臭と咆哮が混ざり合う。そして

「終わりだ」

魔力を帯びた絶対零度の声が響く。氷は不得意分野だと言っていたが、フォルシュの魔力が絶対的なことに変わりはない。
次にダンが目を開いたときには、巨大な大蜘蛛の氷漬けが目の前にできあがっていた。