求むる神は此処には居ない

しんと冷えた空気が、隣で一緒に石段を上がる男の少し早い呼吸までもを鮮明に伝えてくれるような、そんな寒い夜だった。

大阪府内に、こんなに寂れた場所が有ったのか。そんなことを、他人事のようにゆうは考えていた。

「ほんまにご利益有るんか?」
「有る、と思えば、何でも叶う」

見上げた深野ふかのはさも楽しげに笑っていた。いつも通りの飄々とした笑みだった。
「こういうのは、気持ちが大事やねんで」と言って、今度は由に向かって笑みかける。その視線を微妙に受け流しながら「適当すぎるやろ」と由は言った。

深野がまた一段笑みを深くするのが吐き出された息の白さから伝わって、由は横目でもう一度深野を見上げた。
気づかれないように五センチ上にある顔を見上げたはずなのに、深野はしっかりと気づいて由の視線を受け止める。
その瞬間、一度大きく心臓が跳ねたので、由は今度ははっきりと深野から目を逸らした。そうして理性を置き去りにして高鳴る鼓動を諫めるように、溜息を落とそうとしたその時だった。

「と。ついたな」

深野の言葉を合図にしたかのように、長い石段が終わりを告げた。
鳥居の向こうに、辛うじてそれだとわかる社殿と賽銭箱が見える、小さな無人の社だった。

「……ほんまにこんな場所、よう見つけて来たよな」

ぽつねんと佇む社殿の前に立って、ようやく由が零したのはそんな感想だった。呆けたようにそう言った由に、深野が「俺もそう思う」と肩を竦める。

「飲み会で聞いた話やから、半信半疑やった」
「そんな半信半疑に、よう相方を付き合わせようて思たな」
「せやかて、由と二人だけで初詣できるの、これが最後かもしれへんやんか」

改めて言う深野に「そうかもな」と由はそっけなく言った。最初で最後かもしれないから。深野の言い分は一貫してそれだった。

「今年は俺の実家もおまえの実家もインフルエンザで全滅で、帰省できへんやろ。で、おまえが来年大学を卒業したら、漫才師として本格的に動き出す。
そしたら、正月は舞台の仕事とか、初詣中継の仕事とかで、ゆっくり参拝できへんかもしれへんやんか」

一時間前に突如訪ねてきて行先も告げずに由を連れ出し、電車の中で大真面目にそんなことを言う深野に逆らえず、由は今ここにいる。
そうして今も全く同じ言葉を発する相方に、由もまた同じ言葉を返す。

「しれへん、やのうて、そうなるんやろ。『正月に暇してるような芸人やのうて、引っ張りだこで悲鳴が上がるぐらいの売れっ子になれるように努力しますから、見守っていてください』て、神様にお願いするんやから」

財布を探って五円玉を二枚探し当てると、由は自然とその一枚を深野へ。
それをさも嬉しそうに受け取った深野と、特に示し合わせたわけでもないのに、二人全く同じタイミングで賽銭を投げ入れる。

本坪鈴から垂らされた麻縄を今度は深野が手に取り、自然と由にも握らせる。
二人で揺らした麻縄を伝い澄み切った空気に鈴の音が響き渡る。そのままその音色を追いかけるように、正しい作法で手を合わせると、辺りを支配したのは静寂だった。

静かな静かな夜の中、由は目を伏せ只管に手を合わせた。

どうか、どうかこの男と、ずっと漫才ができますように。それから……。

「由」

名前を呼ぶ低く優しい声に、はっと瞼を持ち上げる。深野はとっくに祈りの姿勢を解いていて、由に笑みかけていた。そのことで由は、自分が長く祈りすぎていたことを思い知った。

「悪い、待たせた」

失礼にならないように努めて自然に最後の一礼をしてから、由は深野に漸く向き直った。そうして苦笑を漏らす。

「……欲どしいやつやて、神様に呆れられてしもたかな」

社殿に背を向け歩き出し、誤魔化すように肩を竦めると、深野は首を横に振った。

「大丈夫。そんだけ真剣な願いなんやから、絶対叶う」

それがあまりに確信を持った物言いだったので、由は思わず深野の顔を勢いよく見上げてしまった。
驚き目を丸くする由とは対照的に、深野はどこまでも優しく笑む。その顔に、

「……無責任なこと言うなや」

由は思い切り顔を顰めて深野を置き去りにすると、わざと早足で石段を下った。

相方への恋愛感情を、一日でも早く、消せますように。
こんな邪な思いは、来年に持ち越しませんように。

「……全然、叶わんやないか」

石段を下りきった先で、ゆっくり降りてくる深野を見上げながら、由はそう吐き捨てずにはいられないのだった。

遠く向こうで除夜の鐘が鳴る、空気の澄んだ寒い夜のことだった。