夏の化身

青空を背負い、入道雲を従え、涼風をまとう人。

陣内 達大じんない たつひろは、夏の盛りが人の形を選ぶなら、こういう姿で現れるだろうと思わせる容姿をしている。

まだ太陽は南中に上りきらず、ほんの少しだけ過ごしやすい時間帯。からりと乾いた風と、夏を象徴する積雷雲。眩しいまでに真っ青な空。
まさに今五感で感じる夏の光景が、いつでも彼の背後から見えて仕方がない。
戯れに誕生日を聞いてみたら、本当に彼は先日誕生日を迎えたばかりだったと言うので、少し笑ってしまう。

「夏が似合うと、よく言われるだろ?」

しかし陣内は「どうだろうなあ」と、本当に不思議そうに首を傾げた。開襟の白いシャツがこんなに似合う男もそういまい。
タイミングよくアイスコーヒーが運ばれてきたので、そちらに会釈を向ける。陣内も同じように会釈をした。俺よりも数段顔が整っている陣内に会釈されて、ウェイトレスの中年女性は心地よく笑った。

ストローを剥きながらもなお、陣内は釈然としないようだったが、少しずつ口を開く。

「『スポーツやってる?』ってよく聞かれるし、サッカーやってるって言うと『やっぱり』とはよく言われる
けど、サッカーって、夏のイメージか?」
「W杯は、少なくとも」

けれどもW杯シーズンは日本では梅雨の時期なので、陣内とサッカーはリンクしても、陣内と梅雨はリンクしない。
と、思っていたら、

「あ、けど。俺、すごい雨男だぜ」

何とも意外な一言が飛び出してきたので、思わずアイスコーヒーから口を離し「嘘だろう」「ほんとほんと」と、なんとも 間抜けな会話をしてしまう。
すると陣内はよっぽど可笑しかったらしく、女性受けの良さそうな顔を歪めてまで口を大きく開け「ほんとだってば!」と目を細めた。大きな声が午前十時の静かな喫茶店に反響して、何人かから迷惑そうな視線を食らってしまうも、全て陣内は愛想笑いで治めてしまう。

「ゲリラ豪雨って言うのか?いきなりザバーー!!って降ってくる雨に、子供の時から良く遭うんだよ。運動会はそれで三回ぐらい延期になったし、中学高校の修学旅行でもやられた
あと、逸崎いっさきたちに誘われて渓流釣りに行ったら、大雨でテントごと流されそうになったりとか」
「それは……常軌を逸しているな」

半分飲んでしまったアイスコーヒーを少し持て余し気味にストローでかき混ぜる。そんな俺の様子を見てどう思ったのだろう、陣内はなおも「本当だってば」と、いくらかは先程より抑えた声で言い募る。

圭吾けいごにも聞いてみろよ。あいつとは小学生から同じチームでプレイしていたから、俺の雨男パワーを誰よりも知っているぜ」
「いや、十分だ……」

度の過ぎた雨男ぶりをこれ以上聞きたくなかった。
けれど、しとしとと降る梅雨雨ではなく、ほとんどのエピソードが夕立だというところにまた、陣内の夏男らしさを見た気がした。夏の夕方は本当にいきなり降ってくる強い雨が多い。

しかしここまで立派に雨にまつわるエピソードを語られても、俺は陣内から夏の晴れた日を拭い去ることができなかった。
……あの夏のことがあったからだ。

「静岡は、一試合も雨天決行にならなかっただろう?」

それまでどちらかと言うと聞き役に回っていた俺が徐に発した言葉に、オペラにフォークを入れた陣内はキョトンとした。少年サッカー大会の時のことだと気付くのに、少し時間を要したようで「あー」とフォークをそのままに「そうだったかも」としみじみと呟く。

山梨俺たちは一度あったんだよ……香川との試合だったかな」

足元の悪い中で試合をしたせいで、どろどろに汚れた才蔵GKのユニフォームを今でも覚えている。
コートを上下にひたすら走り回った一郎丸と千石WB二人の足にへばりついた泥もだ。

「あー」とまた、間抜けな陣内の声が響く。フォークで掬ったオペラを口に運ぶでもなく、皿の上に置いて思案顔だ。そして

「決勝戦の時、芝の状態がすごく良かった。あんな綺麗に股抜けるとは思わなかった」

俺にとっては屈辱のエピソードを、何でもないように言った。

……しばしの沈黙を、仕方なく俺は、溜息で打ち破る。

「……抜かれた直後にお前を振り返ったら、憎らしいぐらいの青空と入道雲が広がっていたよ。
お前はボールとゴールしか見ていなかったろうけど、俺にはお前が、そのまま夏空へ帰って行くんじゃないかと思った。
……大事な決勝戦の最中だったってのにな」

目を閉じると、今でも鮮明にあの日のことが浮かぶ。
守備の要としての自負はあったし、チームメイトからの信頼も厚かった。実際、静岡の速攻に前衛陣が歯も立たず、絶体絶命かという時に千石に名を叫ばれた。だから、あっさりとこの目の前の男にに攻略されて悔しかった。

けれど、あの日の夏空の元で一幅の絵画のようだった陣内は、そんなことが一瞬で吹き飛ぶぐらい、美しかったのだ。

ああ、そうか。だから俺は、陣内と夏を結び付けたがるのか。別にサッカーは夏だけのスポーツじゃないことぐらい、良くわかっているのに。
夏のピッチに立つ陣内は、夏の化身に違いない。

「なんだか君の話を聞いていると、あの決勝戦が雨だったらこちらが勝っていたかもしれないと思えてきた」
「以外だな。いつも前しかむいていない陣内 達大が、たらればの話を持ち出すなんて」

アイスコーヒーの最後の一口を飲み干すと、陣内もようやくオペラを食べることに専念し始めた。静かになった喫茶店で、先ほどの女性がお冷を継いでくれる。

そうしてしばらくゆっくりと夏の午前を堪能していたのだが、ふと、陣内が少し頬を染めてにまにまとこちらを見ていることに気が付いた。

のぼり。つまり君は、あの頃から俺に惚れていたってことだよな?」

継がれたばかりの冷たいお冷を陣内の顔面に押し付け、黙らせた。

【ライナーノーツ】