滴る

「素敵ナ景色ダネ!」

うちの最寄り駅で待ち合わせをしていたカルロスくんは、ぼくを見つけると、挨拶もそこそこにそう言った。
興奮が隠しきれないように、細い目をキラキラさせている。「そうかなあ?」とぼくが言うと「ソウダヨ!」と彼は言う。
この辺りは緑豊かな山梨県内においても特に山が多く、すげなく言ってしまえば田舎もいいところだ。
取り柄といえば、うち――万年寺の他にもたくさん寺があって、修験者の人たちにとっては絶好の修行場所であるというぐらいだ。
だから、仏教徒でないカルロスくんがそこまで興奮する理由が、ぼくにはわからなかった。

今日、彼がぼくを訪ねてやってきたのは、うちにあるサッカー訓練施設『万年寺三十六房』に挑戦するためだ。
全国大会まで二週間を切り、先日の合宿で見つかった課題を克服するために、ぼくたちは各々調整を重ねている。その一環で、「挑戦してみない?」とぼくは彼を誘った。彼は二つ返事で乗ってきた。
サッカーに対して誰よりも真面目で努力家な彼は、チャンスがあれば迷いなく飛びつく。そんなところが尊敬できるところだなあとぼくは思っている。

駅からうちまでの道のりは遠い。山の麓まではバスを使っても良いんだけど、ぼくたちは歩くことに決めた。川の流れや囀る鳥、生い茂る草木の一つ一つに、カルロスくんは興味が尽きないみたいだ。

「空気ガトッテモ美味シイネ!」

いつものように器用にリフティングをしながら歩くカルロスくんに、ぼくは苦笑した。「それぐらいしか取り柄がないんだよ」と。するとカルロスくんは「ソレガ一番ダヨ」と笑った。
そうこうしているうちに、ようやくぼくたちはうちの麓へ辿り着く。

山奥にあるうちへは、急な山道を登っていくしか方法はない。流石のカルロスくんも、リフティングしていたボールをしまい込んだ。
そうしてぼくたちはしばらく無言で山道を歩いていたのだけれど、不意にカルロスくんが立ち止まった。

「? どうしたの?」

ぼくは彼を振り返って尋ねた。長時間歩いて疲れたのかな? そう思っていると、カルロスくんは「二郎クン」とぼくを呼んだ。そうしてぼくに満開の笑顔でこう言った。

「ボク、ワカッタヨ!」
「へ?」

一体何が? そう言う前に、興奮し切ったカルロスくんは口を開く。

「コノアイダ、句集ヲ買ッタンダ! ソコニ、『山滴る』トカ『緑滴る』トカガ夏ノ季語ダッテ書イテタ
ドウ言ウ意味ナンダロウッテ、ボクニハ難シクテ分カラナカッタ。ケド……コノ景色ノコトナンダネ!」

そうして彼は大手を広げた。ぼくはそんな彼をぽかんと見つめてしまった。

カルロスくんはブラジル人だ。ブラジルでサッカーをしていた彼は、フォワードなのに得点力がないことをチームメイトに責められて、日本へやってきた。
でもどうして彼が日本を選んだのか、ぼくは知らなかったし、知ろうともしなかった。単純に、先日のワールドカップの開催国が日本だったから、それで思いついてやってきたのかな? と思っていた。

でも、もしかしたら違うのかもしれない。
もともと彼は日本が好きで、日本文化が好きだったのかも。そう考えた時、ぼくは一つ思い出した

合宿中、一緒にご飯を食べる機会が何度もあったけど、彼は難なく箸を使って食事をしていた。
それこそ彼がブラジル人だと言うことを忘れるぐらい、綺麗な箸使いだった。

カルロスくんは、日本が大好きなんだ。
じゃなかったら、ぼくたち日本人でも知らないような『山滴る』なんて言葉を知っているはずがない。
日本語を勉強するだけなら俳句まで勉強する必要ない。
本当に日本語が、日本が好きだから、そう言ったものにも興味を持ったんだろう。

なんだか、日本人より日本人らしいや。ぼくはそんな彼に微笑んだ。彼のおかげで、見慣れた景色が素晴らしいものに見えてきた。

「そうなんだ。素敵な言葉だね」
「ダヨネ!」

カルロスくんはひとつ深呼吸をして、ぼくの隣に並んだ。そうしてぼくたちは再び歩き出した。

「ねえ、もしかして今リフティングをしていないのって……」
「ウン! 素敵ナ景色ヲ目ニ焼キ付ケルタメダヨ!」

彼の目に映る日本の景色は、魅力が溢れて瑞々しく滴っているのだろう。
そのことを素直に喜んでぼくに教えてくれる。ぼくにはそれが嬉しかった。