海外出張のついでに寄れそうだ。そんな思いつきに、ついでだから聞いてみた。
「何か欲しい日本土産はあるか?」
才蔵は即座に返事をしてきた。
『いい筆が欲しい』
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「そうそう、これが欲しかったんだ!」
調べに調べて買った上質な筆を前に、才蔵は無邪気に喜んだ。「さすが千石だ」と喜色満面で礼を述べてくれる才蔵に、俺はずっと気になっていたことを聞いた。
「いや、て言うかなんで筆なんだよ?」
筆を欲しがるサッカー選手なんて聞いたことねえぞ。メールの返事が来た瞬間「筆ぇ?」と画面に向かって思わず言ってしまった俺の気持ちは、多分大多数のサッカーサポーターが共感してくれるはずだ。
会って実際に渡せばあるいはと思っていたが、筆を手にして喜ぶ才蔵を見ても全く理由がわからない。
だが、疑問符を浮かべる俺に、才蔵は「ああ」とさらによくわからないことを言った。
「写経用の筆が欲しかったんだよ」
「……写経?」
いや待て、本気で意味がわからない。
俺はさらに首を捻った。ここは寺か? いや、違う。そもそも日本ですらない。ここはサッカー強豪国にある才蔵の家だ。
餓鬼の頃から全国屈指のゴールキーパーだった才蔵は、大多数の予想通りプロ入りして、そのままあっという間に海外へ飛んだ。そろそろ人生の三分の一を日本国外で暮らしている計算になる。
そんな才蔵の暮らすこの家には、おおよそ日本らしいものはない。
「いや、待て。なんで写経なんだよ」
眉間を押さえて考え込む俺に、才蔵は「集中力をつけたいんだ」と言った。
「どんな状況でも動じずにセーブできるキーパーになりたい」
その言葉に胡乱な視線を向けた俺は、思いの外真剣な才蔵の目と向き合うことになった。そしてその瞬間、先日のワールドカップのとある試合が脳裏で再生された。
「お前、もしかしてあのPKを気に病んでるのか?」
才蔵はゆっくりと頷いた。
それまで一点勝ち越しをしていた日本チームは、その試合、後半終了間際のPKで追いつかれてしまった。結果的に延長戦で日本は勝利したが、あのPKがなければ延長戦は行われなかった。
「あんなの不可抗力だろ」
側から見ていて思った素直な感想だ。けど才蔵は「違う」と言った。
「あれは止められるシュートだった。俺があの時、余計なことを考えたから入れられた」
「余計なこと?」
「止められなかったらどうしよう。なんて不安が過ったんだよ」
才蔵はどこまでも真面目に言った。俺は言葉が出なかった。
才蔵は、ゴールキーパーであると同時に、日本代表のキャプテンだった。
たった一本のシュートを阻めなかったという事実は、キーパーとしてもキャプテンとしても、自分を許せないのかもしれない。
さらに言えば、自分のプレイで味方の士気を下げてしまったかもしれない、危うく勝利を逃すところだったかもしれない、そんなふうに自分を責め続ける自分が居ることもまた、才蔵は看過できないのかも知れない。
昔からそうだったけど、やっぱり自分に厳しいんだな。
そうでなければ大舞台でキャプテンなんて務まらねえんだろうけど。そんなところは素直に尊敬できる一方で、危なっかしくて仕方がない。
「……理由はわかった。写経すると心が洗われるって言うしな」
ゆっくりと頷いた俺に、才蔵は笑った。
「だろ? 達成感もあるし、誰にも迷惑がかからない」
「ああ、そう言えばお前、前に取材で来た時はしこたまラーメン作ってたもんな」
サッカー誌の記者としてここに来た時、ストレスが溜まるとラーメンをひたすら作ってしまう才蔵の悪癖に見事に巻き込まれたことを思い出して俺は苦い顔をした。才蔵も苦笑している。
「それで、見かねた一郎丸が言ったんだよ。『写経をしろ』って
一は実家が寺だからそんなこと言うんだって聞き流してたんだけど、ワールドカップが終わった後に、ひょんなことからそれを思い出してさ」
「それで、やってみたのか?」
「ああ。そしたらこっちには書画用の道具が売ってなくて、適当な絵筆でやってみたら上手くいかなかった」
ようやくわかった。それで日本土産に筆が欲しかったのか。納得した俺は才蔵の手元に渡った筆と才蔵を交互に見て言った。
「じゃあ、もし次のワールドカップでお前が好セーブをしたら、記事にしていいか? 『日本の守護神を支えたのは、写経だった』ってな」
口の端を上げる俺だったが、才蔵は「もうちょっと格好いい見出しにしてくれ」と困ったように笑うのだった。
