山越運動場は大盛況だった。サッカーが好きな子供達がこんなに居るんだな。それを知れただけでも、俺は十分だった。
地元・山梨で一日サッカー教室を開催できたことも感慨深い。子供達はみんな熱心で、俺のほうがたくさんの刺激や学びをもらった。教室終わりのサイン会で一人一人と話す時間が持てたことも嬉しい。
この子達の中から未来のスーパースターが生まれるのかもしれない。だったらいいなと思いながら、心を込めてサインをしていった。
「次の人、どうぞ」
だが、最後に呼ばれて目の前にやってきたその子を見て、俺はちょっとびっくりしてしまった。
その子はまだ五歳ぐらいの小さな女の子で、ふわふわのスカートでおめかしをしていたからだ。どこからどう見てもサッカー教室に参加していた子じゃない。
「こんにちは」
誰かの妹かな? そう思いながら、俺はしゃがんでその子と目を合わせた。
その子は恥ずかしそうに目を逸らして、小さな声で「こんにちは」と言った。
「会いにきてくれてありがとう」
なるべく女の子を怖がらせないように、俺は意識して笑顔を作った。
女の子は相変わらず恥ずかしそうに、背中に両手を回したまま、もじもじとしている。
「えっと、サインは何にすればいいかな? 何か持っている?」
改めて女の子の頭の先からつま先までを俺は見た。御伽噺のお姫様のようなふわふわのスカートワンピースがよく似合っている。
でも子供サッカー教室ではちょっと場違いだ。ユニフォームやスパイク、サッカーボールなど、サインができそうなものを何一つ持っていないように見える。
ちょっと困ったな。俺は女の子に向かって首を傾げながら思っていた。そんな時、
「……さいぞう選手!」
突然真正面からその子が俺の名前を呼んだ。俺はびっくりしつつ、それを顔に出さないように「どうしたの?」と聞いた。
「あ、あの、こ……これに!」
言葉の勢いをそのままに、ずっと背中の後ろに回っていた女の子の手が急に前に出てきた。そこに握られていたのは、一枚の団扇だった。
それには見覚えがあった。俺がスポンサー契約を結んでいる企業の広告団扇で、表面には俺がセーブを決めた瞬間が、裏にはセールの情報が印刷されている。確か先週あたりに駅前で配っていたと聞いた。
その団扇と女の子を交互に見ると、女の子はさらに口を動かした。何かを喋ろうとしているけれど、うまく言葉にならない様子に、俺は「ゆっくりでいいよ。深呼吸して」と声をかけて、一緒に深呼吸をした。少し落ち着いたらしい女の子が言葉を紡ぐ。
「あのね、このあいだのワールドカップ、みました」
「うんうん」
「さいぞう選手、とってもかっこよくて、大好きです」
女の子はそこで一呼吸おいて「それでね」と続きを話す。
「このうちわに、サインをください! わたし、これを持って、おうえんに行きます!」
そうしてもう一度団扇を差し出す女の子に、俺は心を打たれた。
見るからにこの子はサッカープレイヤーじゃない。けど、サッカーが特別好きというわけでもないこんな小さな女の子が、俺を応援してくれている。そのことが何よりも嬉しかった。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
俺は団扇を受け取り、表面に金色のペンでサインを書いた。ずっと緊張し切っていた様子の女の子の顔がぱあっと明るくなる。
「はい、どうぞ。今日は来てくれてありがとう」
女の子へ団扇を返し、握手をするために手を差し出す。女の子は勢いよく両手で俺の手を握ってくれた。
「これからも、応援よろしくね」
俺の言葉に女の子は勢いよく頷いて、サインが入ったばかりの団扇を大事そうに抱えて帰っていった。全身で「嬉しい」と表現しながら帰っていく様子に、思わず笑みが溢れた。
これから行われる試合、会場のどこかで、あるいはテレビ画面の向こうやライブビューイングの客席で、あの子が団扇を振って応援してくれているのかもしれない。
そう思うと、気が引き締まる思いだった。
