多分これを見たら喜ぶんだろうなとは予想していたけれど、想像以上に目を輝かせて喜ぶ神谷くんを前に、僕は笑ってしまった。
「すごい! スター選手が勢揃いじゃないっすか!」
興奮し切った彼が見ているのは、有名なサッカー選手たちが印刷された記念切手だ。
先日亡くなったおじいちゃんの遺言で、僕はおじいちゃんが収集していたこの切手を譲り受けた。多分、小学生の時にサッカーをやっていた僕がこれを見て喜ぶと思っていたんだろう。
でも、おじいちゃんの思いとは裏腹に、僕はこの切手をどうするか悩んでいた。
そこで、これを見て喜びそうな人に譲ろうと思って、神谷くんを呼んだというわけだ。
キラキラした目で切手を眺める神谷くんに、僕はのんびりと言った。
「良かったらそれ、あげるよ」
手元の飲み物に口をつけながら、なんて事のないように提案する。
神谷くんはきっと喜んで貰ってくれるだろう、そんなふうに僕は予想していた。しかし、そうはならなかった。
僕の言葉を聞いた神谷くんが一転、信じられないものを見る目で僕を凝視してきたからだ。
「え……?」
さっきまでの興奮はどこへ? そう言いたくなるぐらい、彼は急にしどろもどろになった。
「えっ……だってこれ、柳さんへ、おじいさんが……」
僕は「そうなんだけど」と言って、飲み物を置いた。
「僕はもう、サッカーはやらないから」
そう言うと、神谷くんは目を丸くして驚いた。言葉こそなかったけれど、「嘘でしょ?」と言う声が聞こえてきたような気がした。
「サッカー、辞めちゃったんですか?」
しばらく悩んで言葉を探したらしい、慎重に発言した彼に対して、僕はごく軽く「そうだよ」と答えて、彼が「なんで?」と言う前に経緯を話した。
なんてことのない、単純な理由だ。中学で出会った吹奏楽の世界に夢中になっていくにつれて、サッカーから自然と離れていった。
別にサッカーが嫌いになったわけではなくて、より熱中できる吹奏楽を選んだ。
「だから、今でもサッカーを続けている神谷くんのほうが、この切手を大切にしてくれるんじゃないかなって思ったんだよ」
そこまで言って、僕は再び飲み物に口をつけた。
神谷くんは戸惑いを隠せない様子で、しばらく僕と切手を交互に見ていたけれど、やがて何か覚悟を決めたように「柳さん」とぼくを呼んだ。そして、
「やっぱりこれは受け取れないっす」
と、受け取りを辞退した。
「そっか。じゃあ仕方ないよね」
内心で困ったなあと思いつつも、僕は頷いた。「理由を聞いてもいい?」と言うと、神谷くんは真剣な顔でこう言った。
「本当を言えば、とても羨ましいっす。でもこれは、柳さんのおじいさんが柳さんへ贈ったものっす」
「僕は、もうサッカーはやらないよ?」
首を傾げる僕だったが、神谷くんは「そう言う問題じゃないっす」と首を振った。
「なんて言うか、これはおじいさんから柳さんへのエールだと思う」
神谷くんはそこで一旦言葉を切って、うん、と頷いた。
「不屈の心を持った世界的選手みたいに、何事も諦めないで頑張って欲しい! みたいなメッセージを感じるっす」
そう力説する神谷くんを、僕はぽかんとして見つめた。
そこまでのことを思っておじいちゃんがこれを残してくれたとは、ちょっと考えづらい。
ただなんとなく、僕のことを思ってこの切手を収集していたのかなと言うことだけは感じられる。
だから僕は、この切手は自由にしていいと言われても、見知らぬ他人に売ることは考えられなかった。
しかしこうなってくると、いよいよ僕はこの切手を持て余してしまう。神谷くんが言う通り、この切手は僕が持っているべきなんだろうか。そう、悩み始めた時だった。
「難しく考える必要はないっすよ」
ぽん、と、神谷くんがなんてことのないように言った。
意味を測りかねた僕が彼を見ると、彼はにっこりと笑った。
「俺と文通しましょう! で、そこにこの切手を貼ってください」
「文通?」
わざわざこんな時代にそんなアナログなことを? そう思った僕をよそに、神谷くんは「そうっす!」と言葉を重ねる。
「そしたらこの切手は柳さんに使われるという使命を果たせるし、切手そのものは柳さんから俺の元に渡るし、柳さんと手紙を通じて仲良くなれる。一石三鳥っす!」
この上ない妙案だと言わんばかりに顔を輝かせる彼。そんな彼に、僕は苦笑を漏らすしかない。
「やっぱり、切手は欲しいんだね」
笑いながら言うと、神谷くんはハッと言う顔をして、それから慌てたように「あ、いや! そんなつもりは!」と顔の前で手を振った。その仕草に僕は今度こそ声を上げて笑ってしまう。
そうして僕は、その提案に乗ることにした。
「いいよ。それが一番、おじいちゃんも喜ぶと思う。
切手はやっぱり、手紙に貼ってこそだからね」
僕の返事に、神谷くんはこの上なく喜んで、サッカー少年らしい元気な声で「はい!」と返事をした。
彼へ送る最初の手紙へは、何を書こうか。
それはまだ決まっていないけれど、そこに貼る切手は、彼が一番好きな選手にしようと、僕は決めたのだった。
