ひまわり

スーツケースの蓋を閉め、長年暮らしてきた自室を出た。住み慣れた家の廊下を進み、玄関へ。長年生活してきた実家は由緒正しい寺で、玄関への道のりはなかなかに長い。
今日、俺がここを出ていくのは、プロサッカー選手としての生活をスタートさせるためだった。

権威ある寺の長男として生まれた俺は、祖父や父がそうであったように、仏門に入って住職として一生を終えるはずだった。
だが、精神修行の一環として始めたサッカーの魅力に取り憑かれてしまった。

仏教大学への進学を止め、プロとしてサッカーを極めたい。
そう両親に告げた時の二人の顔は忘れられない。
気の迷いでそんなことを言うな、考え直せと何度も説得された。長男のお前が継がなかったらこの寺はどうなる? そう言われてしまっては、俺は何も言えなかった。

サッカーを諦めるしかないのか。そう思って居た時、

「寺なら、僕が継ぐよ」

思わぬところから助け舟が出て驚いた。両親と三人で驚愕の顔を向けた先にいたのは、弟の二郎丸だった。
二郎丸は俺たちを安心させるように微笑んで言った。

「心配しないで。お寺のお勤めは大好きなんだ。それに、兄ちゃんにはサッカー選手の夢を諦めてほしくない
だから、お父さん、お母さん、兄ちゃんにサッカーをさせてあげてください」

二郎丸のこの言葉が後押しとなり、俺は両親にサッカー選手になることを認められた。
だが、俺は二郎丸に対して申し訳なかった。

「お前は、学校の先生になりたいと言っていたじゃないか」

夕餉の片付けをしながら二郎丸へと話しかけると、二郎丸は「いいんだよ」と言った。

「お坊さんも学校の先生も、そんなに変わらないよ
でも、お坊さんとサッカー選手は全然違うでしょ。だから兄ちゃんはサッカー選手になるべきだよ。それに、」

二郎丸はそこで言葉を切って、正面から俺の顔を見た。俺が「それに?」と問うと、穏やかに笑ってこう言った。

「兄ちゃんがサッカーしてる姿、大好きなんだよ。大好きな兄ちゃんが、世界的なスターになってくれることが、僕の夢なんだ」

嘘偽りなく心からそう言ってくれている。そのことが伝わってきて、俺は二郎丸から目を逸らすことができなくなっていた。
嬉しかった、そしてやはり申し訳なかった。
俺のせいで二郎丸の人生を変えてしまった。
この思いをなんと伝えていいのかがわからず、俺はただ「そうか」と言うのが精一杯だった。

廊下の最後の角を曲がり、玄関に辿り着く。靴紐を結び、立ち上がり、一歩を踏み出そうとしたその時、

「兄ちゃん」

背後から声が掛かった。振り返ると二郎丸が立っていた。その手にあったのは小さな向日葵の花だった。
それは庭先で二郎丸が大切に育てて居た一輪だった。

「二郎丸……」
「頑張ってね。応援しているから」

その鮮やかな花もかくやと言うほどに二郎丸が満面の笑みを浮かべている。向日葵の花言葉が頭を過って、俺は二郎丸に笑いかけた。

「ありがとう。行ってきます」

差し出された花を受け取って、二郎丸に背を向け、住み慣れた家を後にした。
この花に誓って、必ず世界で活躍してみせる。そう、決意を新たにしながら。