営業時間が終了したので、ひでまるは表へと出た。
営業中と書かれた札をひっくり返し、暖簾をしまうところまではいつもと同じだったが、今日はもう一つやらなければいけないことがあった。
小脇に抱えていた紙を広げ、四隅に貼ってある両面テープの剥離紙を剥がして、皺がよらないように丁寧にその紙を入り口の引き戸に貼り付ける。
傾いていないか、位置はこれでいいかと確認するため、少し離れたところに立ってその貼紙を眺めていた時、
「……『年越しはラーメンで!』?」
背後から掛かった声に、ひでまるがハッとして振り返ると、そこにはバケツを被ったカラスが居た。
「九の助!」
「よう、ひでまる。久しぶりだな」
九の助と呼ばれたカラスは親しげに翼を上げた。人間で言うところの片手をあげて挨拶をするような仕草だった。
久しぶりに会う友達に、ひでまるも顔を輝かせる。
九の助は、ひでまるが元いた世界でのチームメイトの一人だ。
ワールドカップに出場することを夢見て人間世界にやってきたひでまるを、陰ながら応援してくれている頼もしい存在だ。
時々こうして会いにきては、ひでまるの様子を伺ったり、元の世界のチームメイトたちの近況を話してくれたりする。
今回もそうしてしばしの間お喋りに花を咲かせた。そうして話題が途切れた時だった。
「それより、何なんだ? 大晦日にラーメン食うのか?」
ずっと気になっていたのだろう。九の助が貼紙を興味深く眺めてそう言った。
ひでまるが人間界で居候しているのは、『PKラーメン』と言う屋号のラーメン屋だ。
なかなかに商売上手な店で、季節行事や流行を積極的に取り入れて営業をしている。
「大晦日に蕎麦食う代わりにラーメンでもいいだろ?」
首を傾げる九の助に、ひでまるは笑って言った。「そう言うもんか?」と九の助はますます首を傾げた。
「ていうか蕎麦食うのもよくわかんねえんだけど?」
「大晦日に蕎麦食うと寿命伸びるらしいぜ。細くて長いからってよ。
だったらラーメンでもいいじゃねえかってのが、親父さんの言い分だ」
「いいのかそれ? 人間ってよくわかんねえな」
疑問符が頭の上にたくさん浮かんだ九の助に、ひでまるは「いいんだよ!」と笑った。
実際、PKラーメンに大晦日にやってくる客は多い。商売が繁盛することは間違いなくいいことだ。
人間世界には悪い奴もいるから気をつけろ。とは、この世界にやってきて間もない頃のひでまるに、九の助を通してカメのじっちゃんからあった忠告だった。
だが、ひでまるが出会ってきた人たちは皆親切で優しい人たちばかりだった。
それがどれだけ恵まれたことなのかと知ったのは最近になってからだったが、自分に良くしてくれる人々が幸せになってくれたらいいとひでまるは思う。
ラーメンを食べにやってくる人々も、ラーメン屋を営む一家も、年越しラーメンを通じて幸せになってほしい。そんなふうにひでまるは思うのだ。
「うめえんだぜ、親父さんのラーメン」
言いながらひでまるはPKラーメンの看板メニューを思い浮かべた。
その途端、ぐぅー、と何かが鳴った。
それが自分の腹の音だと気づいて、「ありゃ?」とひでまるは苦笑した。
九の助はそんなひでまるを「相変わらず食いしん坊だな」と呆れ顔で笑った。
「そんなにうめえなら、俺も食いてえな」
九の助がそう言う。それを聞いてひでまるはキラキラと顔を輝かせた「うん!」と大きく何度も頷く。
「じゃあ今から食おうぜ!」
「今? もう営業は終わったんだろ?」
「へーきへーき! ほら、行こうぜ!」
戸惑う九の助を引き連れて、ひでまるは店の中へと帰って行った。
出てきた温かいラーメンは、二人の腹だけでなく心までを満たす優しい味をしているのだった。
