個人サイト引きこもり記

なんでこの大SNS時代に、わざわざ個人サイトを作ろうと思ったかってことを、多分まだ書いてなかった気がするのでここに記しておきます

そんな大した話ではないです

一言で言うと、SNSに疲れたからです

ものすごい情報の海と言うか、もはや洪水じゃないですか。それはそれでいろんな知識が入ってくるのが楽しいっていうのはもちろんあるんですけど。SNSで得た知識がきっかけで生まれたキャラクターとかも有りますし

ただ、インプットの量に対してアウトプットが圧倒的に足りないんじゃないかと、そんな風に思ったんですね

アウトプットが足りないっていうのも少し語弊があるかも。アウトプットに至るまでの思考量や時間が、SNSを見ている時間に食われている気がしたというほうが正しいか

人間、思考するってかなり大事なことだと思うんですよね

その場その場で瞬時にぱっぱと臨機応変に対応していけるタイプの人は、あるいは気にならないのかもしれない
でもわたしはダメだった

自己認識の話になるので、他の人から見てどうかというのはちょっと分からないんですが、
自分では自分のことを、かなり要領が悪い人間だと思ってるんですよね
臨機応変って言葉がこの世で一番嫌いかもしれない、ぐらい、瞬時に状況を判断することができない

その代わり、じっくり考えて結論を出すのは、かなり得意だという自負があります
一つの物事を突き詰めて考えて行くのが好きだし、得意だし、誰も考えつかない領域まで潜って行ける人間だと思ってます

で、そういうタイプの人間には、他人の意見を見ずに聞かずに、孤独にじっと考える時間が必要だと思ってます

例えばテレビでニュースを見たりしたときに、どうしてこういう事態になってしまったのかと自分なりに考えて仮説を立て、それから人に「こう思ったんだけどどうかな?」と問う。そこで他人の意見を聞いて「なるほどなあ」となり、もう一度考えてみる。このプロセスが深い思考に潜っていくために必要なのだと考えます

ところがSNSでニュースを目にすると、どうでしょう。XだったらRTというシステムが有りますね
自分で何かを考える前に、他人の意見が飛び込んできてしまう
引用RTだったりコメントだったり、ニュース記事をRTした人が自分の意見をタイムラインで呟いていたり……

気にしなければいいんじゃね? わたしも正直そう思います
でも今のSNSのアルゴリズムで「気にしない」というのは、正直かなり難しい

それから、考えたことをそのままタイムラインに流すことにも、どうかという思いがあります
今までだったら考えなかった、と言うか、わたしは元々Xを思考の掃き溜めみたいに使っていたので、そのままポイっと流していました。フォロワーさんたちも全然気にしなかったと思う

ところがここでまたSNSのアルゴリズムが関わってくる。つまり「気になる意見にコメントしてしまう」「コメントまで行かなくてもエアリプしてしまう」

するとどうでしょう。大して思考しないままに、浅い考えをポンポン発信することになってしまう

思考スピードが速くてぱっぱと切り替えられる人にとっては居心地がいいかもしれない
でもわたしはダメだった

次第にXを思考の掃き溜めとして使うことに違和感を覚えるようになりました
それでも使い続けていたのは、呟きをブログ形式で保存してくれる『ついろぐ』がとても便利だったからなのですが、
このついろぐがXの仕様変更に右往左往している様子に、ああこれはダメだ、と思い、Xそのものに見切りをつけることにしました

他にも、評価に振り回されることがすごくしんどいなあって思ったりしたので、これについてはまた、思考が深まって言葉にできる段階になったらブログにします

んで、じゃあ今どうやって思考の掃き溜めを確保してるの? って話についても、次回あたりにブログにしたい

管理人と同じように、SNSに疲れた人たちの、何かヒントになればいいなあと思いつつ
ひとまずこのブログも思考の掃き溜めの一つであると、明記しておきます

元々昔運営してた個人サイトでも、ブログのほうが更新が活発だったぐらいなので、今後も不定期に書いて良ければいいなあと思ってます