捨てられないもの、捨てなくていいもの

びっくりするぐらい物が捨てられない人間なのですが、「それでもいいじゃないか」と思うできことが、つい先日ありました。そういう話です

染織専攻していた学校の展覧会が毎年ありまして
3年ぐらい前から毎年仕事帰りに行くようになりました。そこでの出来事です

超絶技巧の後輩ちゃん達の作品を前に圧倒され、すごいなあすごいなあと言う時間
本当に圧倒されて、まじでもう何なんだどんな手間をかけて……と、
自分がやってきたことだけに、その苦労が分かってしまって
と同時に、彼女たちと同い年の頃の自分は何をやっていたんだ……と頭を抱えてしまうわけですが、

今年、後輩ちゃんがふと「先輩が学生の頃の作品て、もう写真とか無いんですか?」と聞いてくれ
いやあ流石に10数年前だからなあ……と言っていた時に、ふと、思い出したのです

そういえばわたし、当時、個人サイトのブログに制作過程を投稿してなかったか?

曖昧な記憶を頼りにブログのURLを打ち込み……
……有りました。変わらずそこに残ってました。忍者ブログすごい
流石に恥ずかしいのでここからはリンクを繋ぎませんが……拙い作品の数々が、当時描いていた絵とか更新履歴とか何とかに紛れて数点、見つかりました

「有ったよ、こういうの作ってた!」

まじでもう、こんなすごい作品を作る子たちの前に見せるのは流石におままごととしか言えない……と思いつつ、期待してくれているし、すごいものを見せてくれた後輩ちゃんへのお礼にでもなれば。と思って画面を見せました。そしたら、

「えっ……待ってください、これ、どうやって作ってるんですか?」

……はい?
いや、待って。君らのほうが余程すごいことしてるよ????

「こんなん適当に蝋引いて地色入れてあとはそれぞれ染めるだけやで?」
「えっ だって、ここのこの線は……?」
「? この周囲だけ蝋引いて、あとは筆で染めるだけやで?」
「つまりそれって、この細い線だけを残して蝋を……??」
「??? せやで???」

↑ まじでこのやりとりをした
互いにポカーン。いや待って、本当にわたしがやってたのは超簡単なことなんやで????
基本しかしてない。確かにちょっと技術は要るかもしれんが、わたしが当時考えてたことなんて「いかに手数を減らして工程を少なくしてそれっぽく見せるか」ただそれだけ
実際成績もそんなに良くなかった。だからわたしはずっと自分は劣等生だと思っていた

なのにそれをこんなに真剣に見てくれる後輩ちゃんがいる
そのことにものすごく混乱しました

「こんな作品作ってる人、今居ないです。構図とかモチーフとか本当にすごい」

めちゃくちゃ真剣な顔で言ってくれて、なんかすごく鼻高々でした

でもそれよりも、もっと不思議がられたのが

「なんでこんなにたくさん制作過程の写真が残ってるんですか?」

ということ

言われるまで気づかなかった。と言うか、気にしたことも無かった。本当に、一色色を入れるごとにめちゃくちゃ写真撮ってブログに載せてた。何なら下絵段階の試行錯誤から残ってた
何でだろうね。本当にね

当時写真を撮っていたガラケーはもうとっくに手元に無くて、ガラケーで撮った写真も当時はiPhoneに移し替える手段も無かったので、自分の手元にはもう残っていない
それでもブログに残ってて、それを10期以上世代が離れた後輩ちゃんに見てもらえている
なんだか本当にすごく不思議な気がしました

「さあ……当時からブログのネタを探してたからちゃうかなあ?」

首を傾げながらこう答えたわけですが、多分これが本当のところなのではないかなと思ったりもします
投稿すれば投稿するだけ、記事が蓄積して行くのが楽しかったんですね、当時
それぞれカテゴリごとに振り分けされて、あとから見返したりするのも楽しかった

中には本当にしょうもない記事も有ったんだけど、あとから見返すと「何書いてんだてめえ」みたいなこともめちゃくちゃ有るけど、それでもこうして残していたからこうやってまた今になってブログを更新するネタになったりもする

ああ、わたしはこうやって、記録を付けたい人間なんだな
そしてその記録をカテゴライズして丁寧に分類分けしたい人間なんだな
……そりゃあSNS向いてねえよ!!!!

ちょっと前までのツイッターは、もうちょっと思考の蓄積に向いた作りだったと思うのですが、
今のXは……正直、吐いて捨てる場所だと思っています
それはそれでいい面もあると思う。思うけど、こうやってひょんなことで昔の記録を探り当てることには到底向いていないだろうな……そう思ったりします

と、ここで冒頭の話に戻るのですが、
わたしはめちゃくちゃ物が捨てられない人間です。いい加減そんなのもう使わないだろ!? って言うようなものも普通に部屋の中にある
流石に最近ものが多くなってきたので、少しずつ部屋を掃除してはいるけども……

その中の一つに、中学生の頃に買ってもらったコピックの技法書が有ります
https://copic.jp/book/book-illustration/bijutsu_2/

なんと2001年発刊。今から24年前の技法書なのですが、その中に空山基先生と大暮維人先生の対談が有ります
当時はデジタルイラストが出始めた頃で、アナログで絵を描く意義はあるのか時々不安になる……と言う旨を大暮先生が空山先生に吐露する。すると空山先生はそれを一蹴します

「デジタルかアナログかの差なんて、色鉛筆かパステルかの差ぐらいしかない」

……衝撃的過ぎる
ちょっと本当に読んで欲しい。わたしが何を言っても誤解を招きそうなので、この辺りのあれそれはぜひ原文を読んで欲しい。今でいうところの「生成AIか、人間が描くか」と言う話題にも通ずるものがあるとわたしは思ったので

とにかくそんなこんなで空山先生の力強い言葉に目から鱗がポロポロとこぼれるわけなのですが、その中でわたしが一番「うわーーーーー」と思ったのがこの一文

「世の中なんていい加減だから、売り込みの上手いヤツがあがっていくだけ。だから、どういう肩書があろうが、おもしろがってる人がいいのよ」

なんかもうすごい、すごいしか言えない
24年前から、もしかしたらもっと昔からそうだったのかーって言う衝撃と、
それでもいい加減な世の中を生きていかなければいけないという諦めと、
だったら『おもしろがって』生きて行くほうが良いというのと、
果たしてわたしは今『おもしろがって』いるか? というのと
とにかくいろんなことを考えました。多分これについてはまだまだ答えは出ない

答えは出ないけど、でもそんな中で確かなのは、わたしがこの本をずっと捨てずにいたから今、24年前の空山先生の言葉にものすごく感銘を受けている。そしてこの衝撃を記録しておきたくて、しかも吐いて捨てるSNSではなくて、きちんと残しておきたくて、こうしてブログに書いている
それは本当にゆるぎない事実であるということで、大事にしていきたいことだなと、そんな風に思っています

自分が楽しいと思うことをやる。おもしろがる
じゃあ自分は一体何が楽しいと思っているのか、何がおもしろいと思っているのか
その答えを得るために、こうして個人サイトを運営しているのかもしれません

少なくとも、10年以上前に、毎日楽しんで面白がって、些細な日常を記録していたことは、確実ですからね