あまたの恋のシャーベット

甘楽かんら がまた、溶けたらしい。

「また? 先月も溶けてただろ」
「それがさ、今回は重症らしくて。凝固するのに二週間ぐらいかかりそうなんだと」

呆れながら日比谷ひびや は鞄を下ろした。隣で講義を受ける準備をしている逸見へんみ もまた、呆れた顔をしている。

「体質とは言え、面倒なやつだな。というか単位足りるのか?」

椅子に座りながら日比谷が尋ねると、「ギリギリ無理じゃね?」と逸見は苦笑した。
それでも甘楽のために毎回きっちりノートを取るところが、お人好しの逸見らしいと日比谷は感心するばかりだ。

甘楽 善幸よしゆき が『溶けた』というのは、比喩でもなんでもない。文字通り、甘楽の体は溶けるのだ。

この世界には三種類の人間がいる。

一つは何も特異なところのない普通の人間。日比谷と逸見はここに分類される。
一つは『アイス』と呼ばれる、溶ける人間。甘楽がカテゴライズされるのはここだ。
そしてもう一つは、『ジュース』という人間。先述のアイスを溶かしてしまう人間である。

アイスが溶けるのは、ジュースと恋愛的な意味で結ばれた時。
アイスの融解はつまり死を意味する。
ジュースは愛する人を殺してしまう体質なのだ。
だからアイスとの恋愛を避けたがるジュースはとても多い。アイスが溶けてしまうまでジュースは己がジュースだと気づかないこともまた、厄介だ。
しかし彼らは惹かれ合う運命にある。

そんなことで、数多の悲劇がこの世界には生まれた。
アイスとジュースの葛藤と苦悩を描いた恋愛作品は、小説、漫画、映画、演劇、音楽などなど、古今東西で人気を博している。

だが、昨今の事情はと言うと、少し異なってきている。
人間の持つ生存本能か、子孫繁栄のための生命の持つ逞しさか。
数多の悲劇を生み出したアイスの体質が変化し始めたのだ。死んでばかりもいられないとでも思ったのか、ここ何十年かでアイスの中に、溶けても生命に支障がないものが産まれるようになってきた。
新世代の彼らは何度溶けても、数日すれば元通りに凝固する性質を持っていた。

しかし、アイスたちが一度溶けてみるまで、旧世代のなのか新世代なのかは本人たちにもわからない。そのため、デリケートなジュースたちはますますアイスたちとの恋愛を恐れるようになる。

すると、困り果てたのは新世代アイスたちだ。
実は、新世代の彼らは、溶けるその時こそ最も快楽を感じる生き物だったのだ。しかし、自分を溶かしてくれるジュースが自分たちとの恋愛を避けるようになってしまったため、快楽を与えてくれる相手がいなくて本当に困ったのだ。

そんなわけで、新世代アイスたちは更なる進化を遂げた。
別にジュースに溶かしてもらわなくてもいい。大多数の一般人に簡単に溶かされる道を選ぼうと。

そうして、恋愛感情を抱いた相手がジュースだろうがそうでなかろうが、両思いだろうが片想いだろうが、ところ構わず溶けてしまう、いわば超新生アイスが生まれた。
アイスよりも簡単に溶け、そのくせ数日後には元に戻っている彼らのことを、人々は『シャーベット』と呼ぶようになった。

そう、甘楽 善幸は、シャーベットなのだ。

甘楽はとにかく恋多き男で、やれコンビニのレジの女の子が可愛かっただの、やれさっきすれ違った女の人からいい匂いがしただの、とにかくよく溶けた。
甘楽自身が秀麗な容姿をしていたので、女性から好意を持たれることも多く、その熱の籠った視線を浴びてはまた溶けた。
日比谷や逸見の目の前で溶けたことも一度や二度の話ではない。

そうして溶けるたび、周囲の人間は驚いて逃げてしまう。
もともとアイスがこの世界に占める人口の割合は希少だ。その中でもさらに進化を遂げたシャーベットは輪をかけて少ない。
そんな超特異体質の甘楽を、それでも好きだと言ってくれる女性――いや、男性を数に入れたとしても、とにかくそんな物好きな人間は、今のところ日比谷の知る限りでは居ない。

「シャーベットに生まれなきゃ良かった」

失恋して水溜りになるたび甘楽は言う。
だが同時に、溶ける瞬間に襲ってくる快楽というものは本当に筆舌に尽くし難いものがあるらしく、甘楽は溶けるたびに「最高――!!」と叫んでいる。
だから甘楽の本心を、日比谷が正しく言葉にするならこうだ。

「身も心も、何度でもドロドロに溶かしてくれる最高のパートナーが欲しい」

なんだかんだで甘楽は逞しいので、そのうちそう言う相手も現れるだろうと日比谷も逸見も思っている。つまり全く心配はしていない。
溶けるたびに講義を休んでノートを借りたがる彼のことを「面倒なやつだ」とは思っていても、友人としては好意的に思っているのだ。

しかし、二週間も凝固にかかるとなると、よほどの大恋愛だったのだろうか。日比谷はふと、今回どうして甘楽が解けたのかが気になってきた。

「あいつ、今回はなんで溶けたんだ?」
「なんでだろうね? この間の女の子と進展があったとか?」
「あー、あの微妙に指先が溶けた時のか……」

逸見と二人で記憶を辿る。恋多き甘楽にとって、指先がいくらか溶ける程度のことはほぼ日常茶飯事だ。

「復活したら聞いてみようよ」

そうして何だかんだで日々は過ぎ行き、甘楽は宣言通り二週間で復帰した。

「ほんとごめん、ノートサンキュー」

心の底から悪びれながら逸見のノートを受け取った甘楽は、何故かいつもより彫りの深い顔立ちだった。

「なんか顔違うね?」と聞いた逸見に、
「ちょっと失敗してさ、でもどの道また溶けるからいいかと思って」と甘楽が返すので、
「また溶けるの前提かよ!」と日比谷と逸見は二人してツッコミを入れた。

「そう言えばお前、今回はなんで溶けたんだ?」

日比谷がわざと明日の空模様を尋ねるかのように聞いたのは、無意識に予感が働いたからだったのかも知れない。
多分めちゃくちゃしょうもない答えが返ってくるのだろうと、そんな予感が。
そうしてその予感は当たった。甘楽は「え!? えっと……」と頬を掻きながら、こう答えた。

「あ、あのさ……電車待ってたらさ、向かいのホームのお姉さんが手振って笑ってくれたんだよ……それがめちゃくちゃ可愛くて……こう、小首をキュッと傾げてさ……
あっ 思い出しただけで溶けちゃいそう……」

それは本当にお前相手だったのか?

語尾にいくつもハートマークのついたセリフと、言葉の通り溶け始めた甘楽の指先に、日比谷は逸見と二人で大きくため息を吐かざるを得なかった。

【ライナーノーツ】